なにげなく、普段使ってしまうこのフレーズ。
じゃあ、「華」のある選手って具体的にはどういう選手?
っていう疑問を持ったことはありませんか。
あまり手広く考えず、格闘技だけに絞って考えて見ましょう。
まず、一般的に知名度がある選手を指すのか?
と、考えます。
確かに要素としては、あるかもしれない。
ただ、K-1における後期ボブ・サップや、曙には華があったかというと、ない。
だから、これはイコールではないと思われます。
次に、容姿がいい。
これはどうなんだろう。いわゆるイケメンファイターと呼ばれる選手が「華」なのか。
しかし、一見イケメンだけど、これといって「華」、みやびな感じがしない選手はゴマンといるわけです。
じゃあ、試合内容が派手な選手がいいのか? というと、そうでもない。総合格闘家のジェームス・トンプソンや、最近のセフォーなどは確かに派手だが、あっという間にガス欠になってグダグダになる。これも「華」とは言えないかと。
じゃあ、今現在、「華」があるといえるのはどんな選手でしょうか。
旬なのは、やはり魔裟斗。そして、WGPではバダ・ハリ、ピーター・アーツあたりでしょうか。
こういった選手に共通するものってなんでしょう。
知名度でも容姿でも、派手さでもない。
MAXの決勝。
KOしなくても、ダウンすら奪わなくても魔裟斗はカッコイイし、華があると思うもの。
魔裟斗でいえば、佐藤戦、キシェンコ戦ともに、ダウンを奪われてからこれでもかと渾身の攻撃に転じましたね。うまくいえないけど、あれが「華」だと思いませんか?
ダメージを受けて、ダウンを奪われて、そこで精神的に萎えていく選手も多い中で、あの根性というか、気合は他を圧倒していました。
ピーター・アーツがシュルトを追い詰めたときの、あのなりふり構わぬ突進。
カウンターをまともに顔面に受けながら、それでもリスクを厭わず向かっていく姿にも、「華」を感じざるを得ません。
バダ・ハリには、必ず相手を倒すという決意を試合に感じます。
三人に共通するのは、「背負っているもの」があるということではないでしょうか。
背負っているものがあるから、あれほどリスクを恐れず戦える。
三人とも、ファイトマネーや家族、そしてK-1という競技そのものを背負っている。だから、人は彼らの試合に感動したのでしょうね。
彼らに「華」を感じる瞬間は、不利になったとき、不利な状況になったときに決してあきらめずに最後まで戦い抜くことです。
あれだけ強いセーム・シュルトにファンがそれほど感動しないのは、彼が不利な状況になっても、自分のスタイルを変えず淡々と戦うからではないでしょうか。アーツ戦では、3ラウンドに入った瞬間、自分が防戦を強いられているように見えることは想像できたはず。
なのに、シュルトはそのままのスタイルで戦い続け、結果的に押し込まれる。確かに有効打の数は多かったのかも知れませんが、見た目には防戦一方です。
あそこでがむしゃらにKOを狙っていくような変化を見せれば、王者シュルトは負けなかったかもしれません。
「華」のある男は、最後まで考えることをやめず、そして決してあきらめず、残り一秒まで勝利を目指します。
まったく、これは初代カリスマであるアンディ・フグも兼ね備えていた要素です。
男の華、粋を感じる瞬間とは、ルックスや試合の内容ではなく、その先にネバーギブアップの精神を貫いているかどうかなのではないでしょうか。
たまに若い選手で、判定のポイント差などを冷静に分析し、最後は自ら流して戦う選手が増えていますが、こういった選手は日本の格闘技界では人気が出ないでしょう。
勝敗の定まった試合の行方など、誰も注目したくないからです。
最後まで戦う姿勢を貫く選手がもっと増えれば、自然とリングに華が咲く。
そんな風に私は思っております。
一ファンの勝手な思いでした。→人気ブログランキング