かつてK-1でいえばアーツとフグとホーストとベルナルドのうちの誰かが最強であって、特に難しいことを考えなくてよかったし、MMAで考えればヒョードルかノゲイラかミルコかの誰かが最強であって、こちらも特に考えることはなかった。
そして、この単純な構造こそがスポーツを見る上での非常に重要な要素であると思うのです。
ところが、今の状況はどうでしょう。
K-1ではヘビー級とSヘビー級の王者が誕生し、MAXとWGPの二つのスタンダードがある。ついでにワールドユースという枠と、甲子園が出来た。
かつては、年に一回の「K-1グランプリ」の王者だけが存在した頂点が現在では6つあるのです。
詳しい人はわかるけど、良く考えたら結構な構造です。
これらをすべて把握している人はほとんどいないでしょう。
さらに今、60キロ級が設立されつつあり、ファンの中にいはライトヘビー級の創設を叫ぶ者もいます。そうなってはもう、わけがわからなくなるでしょう。普通の視聴者にとっては。
魔裟斗と武蔵はなぜ戦わないのかを説明しなくてはいけないことだってあるのに、これ以上の複雑化は果たしてよいことなのでしょうか?
MMAはさらに複雑です。
まず、フェザー級、ライト級、クルーザー級、ヘビー級、無差別級と階級が多い。これは、テレビ中継では特に説明されません。青木とか秋山とかアルバレスとかミルコとか、いろいろいるけど、一つの放送枠の中でそれらがゴチャゴチャになって登場するから、ハッキリ言って何をやってるのかよくわからない。でもって、煽りVTRとやらでなんだか過去の因縁だか知らないけど、映像作家の妄想が延々と流される。ますますわけがわからない。
K-1はだいたい一つの放送枠で同じ階級の試合がまとまって出てくるので、まだ視聴者の混乱を招かないと思いますが、MMAは素人の私などが見ると、「で、こいつらは誰のいる階級なの?」とよく思います。
しかも、K-1やM-1やSASUKEなどで2時間で王者が決まるトーナメントに慣らされた日本国民は、ワンマッチの試合を並べたものを見るという文化は薄いので、興味が沸かない。
端的に言えば、「アメリカ横断ウルトラクイズ」で分かりやすく使われた手法なんですけど、同じ番組で勝者が勝ち残っていくシステムというのは感情移入を促しやすく、視聴者の興味を引きつけるのです。
だから、K-1ではジマーマンやサキのような無名の選手が勝ち残っていても、視聴者は感情移入したり、応援する選手を決めたりできるのでチャンネルを変えないのです。K-1でファイナルのトーナメントの視聴率が一番高いのはそのためです。
どうしてもトーナメントをやったとしても、結局はワンマッチ主体になってしまうMMAでは、よほど国民的に知っている選手でないと視聴者をホールドできない宿命にあります。
つまり、ストーリー性・連続性がないので、興味の繋ぎ方ができないのです。どんなに有名選手が出ていても、2時間(もしくは1時間半?)としてのまとまり、起承転結が確保できない。
昨年MAXが8人によるトーナメントを捨てたことで、確かに競技性は確保されましたが、連続性のドラマは少し失われました。
今後MAXはますます、視聴率を選手個人の名前に頼ることになるでしょう。
それがいい結果をもたらすかどうかは、これからの選手個人の努力と、主催側のプロモーション次第です。
では、何故UFCなどアメリカのイベントがワンマッチだけでやっていけるという話ですが、
UFCは、3億人のアメリカ国民の中からMMAに興味のある人間をPPVというカタチでチョイスして見せることができるので、仮に国民の1%が見たいと思ってくれれば大成功でガッポガッポ。
MMAを好きな人を相手にマッチメイクできるので、遠心力にこだわる必要がないんです。
逆に1億人の日本人の中から、10%~15%以上に見てもらわないと成功とはいえない日本のテレビ格闘イベントのほうが成功のハードルははるかに高いと言えます。
誰でもすんなり入りやすい制度的判りやすさが必要なのです。
その意味で、競技性を重視しすぎて新しい階級をバンバン作ったり、ワンマッチ主体に走るような真似は、私は慎重にやるべきだと思っています。
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