セーム・シュルト(オランダ)
vs
京太郎(日本)
寒風吹きすさぶ日本格闘技界。
その牽引役であるK-1 WORLD GRAND PRIXにも強い北風のあおりは免れない。
五万を超えていたはずの客席はこの風でぶっ飛び、
今は一万と少しを数える程度である。
このままの勢いが衰えなければ、
いずれはリングだけを残して無人の荒野と化すだろう。
砂漠の真ん中に、ポツンとリングだけが残る。
客は旧来よりそこに住みつく原住民だけとなる。
最大の危機である。
主催が苦渋の決断で頼ったのは中国の投資銀行だった。
「200億円集める」
豪語していた。
巷に流れる噂では、思ったように投資が集まらず資金の流入がない可能性があるというのだ。
200億円ではなく、200億人民元だったのかもしれない。
そんな笑えないジョークは聴きたくない。
興奮と歓喜の坩堝だったK-1 WGP FINAL。
試合中は盛り上がっても、優勝決定シーンは毎年冷めゆくばかりである。
その原因はすべてこの男。セーム・シュルトという不動の王者であろう。
彼が優勝し腕を高々とふりあげても、会場は清められた湖のように静寂が訪れる。そして、次第にまばらな拍手に包まれる。
K-1の魅力は、何か?
それは、「殺るか、殺られるか」
一瞬で形成が逆転し、攻守が入れ替わり、巨大な大男がマットに音を立てて倒れる。
最高の刺激。
ファンはシュルトからは刺激を感じなかった。
日本人が不感症になったわけではない。世界のファンも同様である。
左の鋭いジャブ、天まで届く膝、さらには三日月蹴りで相手の急所を突く。
常にプレッシャーをかけつづけ、相手が攻勢になる時間をほとんど与えない。
完全無欠。一方通行の虐殺。
表情は変えない。あらゆる状況でも冷静に戦える不動心を持っているからだ。
で、あるがゆえに面白くないとオーディエンスも感じる。
攻守の入れ替わらない、つばぜり合いのない、ハラハラしない戦いを観客は好まない。
しかも、それだけの強さを誇りながら抽選会では真っ先に有利な枠、有利な相手を選ぶ。
2009年の抽選会でジェロム・レ・バンナを選んだのはその最もたる例であった。
4度目の対決ですでに結果が知れた組み合わせだった。
ファンのことを考えれば、同じ組み合わせと同じ結果を毎年毎年見せられるのはたまらない。
ファンを考えれば、選ばない選択であろう。
シュルトだけが満足だった。
もし、シュルトがいなければ?
2005年以降のK-1はレミー、バダ、グラウベ、アーツ、カラエフらがしのぎを削る第2の黄金期を迎えていたかも知れない。
K-1にとってディザスター、災厄であった。
「またシュルトか」
冷めた声が聞こえた。
そして、今年もシュルトは満足な対戦相手を迎えた。
京太郎。身長差20センチ以上。
もはやこれは近代化された格闘技で行われる体重差ではない。
バタービーンvs須藤元気以来のミスマッチな対決である。
一切の付け入る隙のない、100%現王者有利なカードである。
動体視力の衰えたアーツや戦う意志を失いかけているバンナに勝利している京太郎だが、
倒した名前の大きさに比べて今ひとつ知名度も評価も上がっていない。
皆、わかっているのだ。
今のK-1のトップクラスは彼らよりはるかに強いのだということを。
シュルトは京太郎など目の前の石ころに過ぎないのだろう。
目標はベルトである。
東京ドームから有明コロシアムになっても、シュルトは意に介さない。
「強い者が勝って何が悪い」
道理である。
その結果もたらされたのは、ジャンル自体の低迷であったとしても、
それは自分に責任はないのだ。
彼は言うだろう。
ある日突然リングが無人の荒野にポツンと置いてあったとしても。
「あと7人はどこにいる?」
と。
誰一人としていなくなったラピュタを最後まで守り続けた巨神兵が重なる。
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