世界的にも日本の格闘技が認知されているというのは、
もちろんマネーが潤沢で選手やイベントに投資できるというのもありますが、
基本的には海外の選手にリスペクトしているという点があげられると思うのです。
たとえばサッカーのクラブ世界一を決める大会が、日本で行われるようになったのには、
日本という場所が非常に公平中立であったことがあげられると思います。
欧州や南米でやれば、審判、観客、主催者が地元チームを勝たせるためにありとあらゆる手段を打つのです。ワールドカップを各大陸持ち回りにしているのもそのせいでしょう。
特に格闘技は判定になれば勝敗がわかりにくい。なおさら、審判や主催者の意向に沿った結果になることは明白です。賭けの対象にもなり、八百長の行われやすい環境になります。タイなどがいい例です。
欧州などでは自国選手のひいきは明白であり、米国では人種による不可解判定などが横行しているとのことです。
日本でもまったくそういうことがないわけではないですが、亀1VSファン・ランダエダや度重なる武蔵判定などで不満が噴出するなど、必ずしも自国の選手の勝利を喜ばないのが日本人の素晴らしき特性です。民族を超えた選手個人に対するリスペクトがあるのです。
K-1やPRIDEのヘビー級などは、日本人選手が世界レベルでは全く通用していないにもかかわらず、人気を集めました。
こういうことって、他の国でありえるでしょうか?
いや、まずありえないでしょう。
アメリカ人がオランダ人同士の決勝戦に熱狂するわけがないし、
無愛想なロシア人ともっさりしたブラジル人の寝技応酬に狂喜するわけがない。
日本人は公平ですごいものをすごいと認める稀有な特性をもっているはずなんです。
このように素晴らしい格闘技文化を日本人は元来有しているのですが、
残念ながら現在格闘技ブームは「下火」といわれ続けています。
それは、競技化が進み、レベル、実力差もはっきりしてきた今、番狂わせの起こる熱狂が少なくなってきたからだと思います。
競技の成熟の過程で致し方ないことかも知れません。
日本人が亀田親子のようなつまらぬ三文芝居に一喜一憂するような国民に成り下がり果てたと思いたくはないのです。
もしかしたら、日本の格闘界のためには若き日のアーツや、ボブ・サップ、山本KIDのような既成概念を打ち壊す破壊者がもう一度必要な時代に入ったのかも知れません。
破壊は建設の母ですからね。
とはいえ、私は今日も小さなK-1情報を探しつつ、ブログを更新し続けるだけなんですが……。
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