これって難しいんですよね。
基本的に「競技実績不足の大型選手」が目立っているのは2003年以降なんですが、それ以前にもないことはないんじゃないかと思って調べてみました。
さあと意気込んで調べたんですけど、でかい選手はあまりいない。巨人選手というか、見た目のでかい選手含めると、南アフリカのバンダー・マーブ。カナダの極真戦士ジャン・クロード・リビエールくらいでしょうか。彼らもある程度の戦跡は積んでいたわけで、やはりモンスターというほどでもない。でも、大小を含めると、いわゆる実績不足の「色物」と呼ばれる選手は2002年以前にもワラワラいましたよね。キモとかホワイトドラゴンとか、ジム・ミューレンとか。まあそれこそ数え切れないくらい。
だいたい1回もしくは数回出場してK-1戦士たちにフルボッコされて帰っていった選手ばかりでしたけど。
ではやはり、谷川政権になったからといって、特にその色物率、というかそういった度合いが変わったわけではないと思います。冷静に試合結果や出場選手を見ると、谷川時代のほうが、出場選手の質が下がったという風に感じることはありません。(主力選手の怪我による離脱を除く)
しかし、なぜ多くのファンやマスコミが2003年前後を「K-1モンスター路線」時代と決めてかかっているのでしょうか。
~モンスター時代の仕掛け~
2003年までに、何が起ったか振り返りましょう。谷川貞治氏がイベントプロデューサーになったことと、2002年末からのボブ・サップ大ブレイク。これは私が言うまでもなく、記憶に新しいことかと思います。谷川氏はプロデューサーになったばかりで、万事をフジテレビもしくは石井元館長に相談していたことを想定すると(本人も石井氏とよく相談していたと公言しているし……)、私的には誰がプロデューサーであっても変わらなかったと思います。
状況を大きく変えたのは、石井館長でも谷川貞治でもなく、ボブ・サップと言わざるおえません。
兆候はありました。
2001年のマーク・ハントです。地区予選から出てきて、ナチュラルな体格とパワー。そして格闘センスで一気に決勝トーナメントを優勝。「K-1を概念から破壊した」とは当時の三宅アナウンサーの名言ですが、実際そう感じました。
次の年、今度はボブ・サップの登場です。サム・グレコの見出したこのアメリカンプロレスラーは、ハングリー精神と圧倒的な体格差、そして150キロの巨体なのに軽々と動く黒人特有の身体能力で平均90キロ台のPRIDE、K-1戦士たちを続々破ります。
マーク・ハントに続いてK-1の基礎概念を破壊する活躍を見せ、ついにアーネスト・ホーストに勝利したところで、人気が沸点に達しました。
そして、パワーの象徴であるサップがテクニックの象徴であるホーストを倒したことで、「パワーはテクニックに勝る」という結論を出したのです。
会場のK-1ファンは、ホーストの敗戦に愕然とし、肩を落としたことでしょう。その後、サップに負けながらホーストが敗者復活によって優勝したことで、「真の王者はサップでは」という風潮が生まれました。
激震の2002年が終わり、2003年はサップ時代の幕開けとなったのです。(本人の成績は全く振るいませんでしたが……)
ボブ・サップの振る舞いは多くに影響を与えました。特にマスメディアがリアルファイトで強く、かつテレビ向きの演技ができるサップを重用したことは多くのみなさんが目撃したことだと思います。これまでリアルファイトで強い選手はマイクアピールが下手で、演技の上手いプロレスラーは、リアルファイトでは雑魚でした。
K-1にはこんな選手がいるのか。と世間は目を見張ったのです。
この強い野獣キャラがウケたことで、テレビ局は「第2のサップ」を探し始めます。これは、テレビ局の悪癖のようなもので、一匹立ち上がるアライグマが出れば、二匹目三匹目を探し、一匹川に迷い込んだアザラシが出れば、全国各地のアザラシを隈なく探します。制作会社に任せるだけで、オリジナリティが欠如した巨大テレビ局は、こうしてブームが過ぎ去るまで同じ映像を繰り返ししつこく流し、ブームが終焉に向かっていても完全に搾り取るまでしゃぶり尽くして、しばらくすれば新しい偶然に飛びつきまた粗悪模倣を繰り返すのです。
結局、制作するテレビ局側の問題なのです。以前であれば、アーツやホーストにKOされるのが仕事だったような役回りだった見掛け倒し系色物選手を、「第2のサップ」気取りでクローズアップさせ登場。TOAしかり、ステファン・ガムリンしかり、バタービーンしかり。
サップの登場で「重い選手はパワーでテクニックを封じることができる」というある種の定説が格闘界を支配したため、体重=高い潜在能力とみなされ、にわかに強豪としてリングに上げるようになりました。
ここでみなさんは気がつくと思います。実際にFEGが集めた選手の質がよくなかったというのもあるかもしれません。しかし、それ以上に私たちは「見せ方」という大きなトリックを見逃していたのです。
象徴的な出来事が、2003年のサップ復帰戦でしょう。ミルコに目を打たれ、休養していたサップのラスベガスでの復帰戦です。このときのテレビ放送は、7時から8時まで。内容はほとんどがサップVSキモ戦でした。
このとき、世界最終予選が同じ大会で行われていました。新星レミー・ボンヤスキーがマイケル・マクドナルドなど強豪を破って優勝しました。しかし、私が楽しみにしていたこのトーナメントは、結局30秒程度しか放送されなかったことを記憶しています。
その日はレミーが素晴らしいKOを見せていました。新しいK-1戦士の誕生を予感させるに相応しい活躍だったのです。しかし、視聴者にはグダグダのサップVSキモ戦しか伝えられていませんでした。
私がフジテレビに対して激しく怒りをあらわにしたのは、このときが最初かも知れません。K-1の大会をを伝えることを放棄し、一選手の動向だけを追ったことに対して、腹を立てたのです。
実際の試合は、美しいものが多かったのに、印象はサップだけ。これがテレビの持つ「力」なのだということを、賢明なる皆さんにはぜひ、理解していただきたいのです。
テレビ局の映像の作り方次第で大きく路線が変わったように感じてしまったのです。
そして、金を出すテレビ局やスポンサーのために、ついに曙太郎がダイナマイトに出撃をしたのです。なかなか第2のサップが出ないFEGが業を煮やしたのか、放送するTBSが金を出すから取って来いと言ったのかは知りません。
しかし、
「でかい選手は強い→強い選手は重い→重いといえば力士→力士で重いのは曙」
という思考回路だったのでしょう。
なんにせよ、ダイナマイトでサップVS曙は実施されました。視聴率紅白越えという史上空前の結果を残して。。。。。
そのころ、K-1を支えた選手たちは、何をしていたのか。アーツは長引く怪我で苦しみ、バンナは左腕を故障し、ベルナルドは首の怪我で不調。アンディ・フグはすでに亡く、ホーストは皮膚の病気に苛まれ、ハントは足の怪我でダウンし、ミルコは引き抜かれました。いわゆる「モンスター路線時代」は、そういう選手的には不作、不運な時期だったのです。
次回は~モンスター路線の功罪~
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