フランスで最も有名なファイターであり、アラン・ドロンと映画で競演も果たしたキックボクサー。
彼がいつも口にする「トーナメントは嫌いだ」の一言。
エメリヤーエンコ・ヒョードルが1試合2億円を要求するこの時代。彼もまた、UFCでの総合再挑戦を模索しています。
2007年のK-1WGP FINALの選手紹介VTRにおいて、彼は「金は十分ある。だが、ファンの歓声がある限り、俺はリングに上がる」と豪語しました。
果たしてそれは、単なる日本マスコミ向けのリップサービスなのでしょうか?
第3回はジェロム・レ・バンナ。ビッグマウスと言われる彼の語録とともに、その人となりを探ります。
バトル・サイボーグ語録その1
「A型はイライラすると身体に悪い」
かわいい小さな女の子娘ヴィクトリアを連れて、K-1WGP2005決勝戦の舞台である東京ドームに現われたのは、
かつて「娘には生で試合を見せたくない」と、かつてインタビューに答えていたジェロム・レ・バンナでした。
ピーター・アーツに「クソみてえな試合」で敗れ、「トーナメントには出ないかも。マネージャーとスケジュールを調整しなくてはならない」と試合後のインタビューで述べていました。
ジェロムはすでにK-1の最前線から退く覚悟を固めていたに違いありません。
取れない左腕のプレート(2002年に粉砕骨折)が、なかなか取れないことへの苛立ちと、映画出演の依頼。
何かの転機だとジェロムが思うことにさほど不思議は感じません。
2006年、K-1WGP開幕戦。
「番長」は、大阪での興行で、メインイベンターとして登場しました。
日本に到着したのは試合の6時間前。
ジェロムは自分の新しいキャリアのため映画の出演を決意しており、その撮影のため大阪には行けないことをかなり前にフジテレビとK-1に告げていたにも関わらず、フジテレビは「出なければ契約を解除する」と無茶苦茶を言い(ジェロム・レ・バンナ談)、K-1の説得と競演していた大俳優のアラン・ドロンの後押しによって、わずかな滞在時間で試合のみをこなす事になりました。
谷川貞治氏によれば「来るか来ないかは最後までわからなかった」と、述べるほど逼迫した状態だったようです。
ジェロムが何故、大阪に出場することを最後まで渋ったのか。それは、監督との契約で、「怪我をすれば(特に顔)映画の撮影に支障をきたす」からでした。開幕戦に限らず、すべてのキックボクシングの試合出場が禁じられていたということです。
大御所との競演。スペインでの大掛かりな映画撮影。契約違反の試合によって、そのスケジュールが崩されることがあってはならない。
ジェロムは真面目な男です。このような状況の中で苦悩しました。すると、事情を知った主演のアラン・ドロンが「君は戦うために生まれてきた。気にせず、日本で試合をしてきなさい。後の事はこっちで何とかするから」
そう言って、バンナを送り出すサポートをしたといいます。対戦相手であるアジア王者・ホンマンに勝ったとき、リング上の挨拶で、ジェロムはコメントの後に「アラン・ドロンに感謝する」と言いました。しかし、この言葉は事情を知らない通訳によって省略されました。
記者会見でギリギリでの到着の理由を聞かれ、ジェロムは以下のように答えています。
「俺は早く着いて、退屈するとイライラしてしまうので。A型(バンナの血液型)はイライラすると身体に悪いから、作戦といえば作戦だな」
遅刻したことをつっこまれ、言い訳をその場でしなかったジェロム。アランへの感謝を忘れないジェロム。そして、すぐに彼は撮影地スペインにとって返していきました。
開催地であった大阪府の、現知事に教えたいエピソードです。
何よりも。
映画の撮影中で顔面に怪我を負うことを禁じられていた身にも関わらず、
日本のファンのためにリスクを背負った、一歩も引かない戦いを演じて見せたジェロム・レ・バンナの男気に、私たちは改めて惚れ直す思いでした。2R終了間際のジャンピングパンチ。あの韓国の大巨人と、足を止めての打ち合いにまで応じました。相手をつけてのスパーリングまで怪我の可能性を考えて禁じられていた状態で、6時間前の来日。コンディションがいいわけがありません。
こんな無茶がまかり通るのは、K-1ファイター多しと言えども彼しかいません。
かっこいいにもほどがある。
バトル・サイボーグ語録その2
「救急車で運ばれながら、俺は娘のことを思うんだ」
ジェロム・レ・バンナは「将来的には動物園をやりたいね」と言う動物好きであり、愛娘ヴィクトリアをかわいがる子煩悩な男です。
そして、フランスのトーク番組で自分の試合のハイライトVTRを流され、会場の拍手を受けたときには、真顔で恥ずかしそうに下を向いていたシャイな男です。
ひとたびフジテレビの選手紹介V撮影用のカメラが回れば「俺の人生はロッケンロールだ!」と、決めることができるんです。
まさに格闘界随一の役者といえるでしょう。映画出演も当然の理かも知れません。
ジェロム・レ・バンナとK-1の出会いは、1995年。第3回目となるK-1GPでした。
初戦の相手はノックウィー・デービー。小柄ながらタフなタイ人相手に終始攻め続けるも、KOには至りませんでしたが勝利はモノにしました。
決勝の8人に残ったバンナは、ベスト8で「世紀末覇王」佐竹雅昭と対戦。無名のフランス人相手に、負けるわけがないと思われた佐竹が、なんとパンチでKOされるという事態になりました。さらに、巨体で破壊力のあるパンチを放つ新星は、アンディ・フグを倒し波に乗るベルナルドをローキックで倒しました。
決勝では鼻を骨折していながら、ピーター・アーツとの決勝に臨み敗れました。
「人生を変えた日」と、バンナは表現しています。
ジェロム・レ・バンナは、この準優勝が評価され、K-1に継続参戦することになります。
が……。
ジェロムは徐々にトーナメントが嫌いになっていくのです。ワンマッチでは最強ともいえる強さを誇ったジェロムが、トーナメントとの相性の悪さを振り返ります。
負けた相手とどこまで進出したかを表にしてみました。
95年 決勝 ●ピーター・アーツ
96年 開幕戦 ●ミルコ・タイガー
97年 ベスト8 ●アーネスト・ホースト
98年 不参加 ボクシング転向のため
99年 ベスト4 ●アーネスト・ホースト
00年 不参加 伝染性単核球症のため
01年 ベスト8 ●マーク・ハント
02年 決勝 ●アーネスト・ホースト
03年 不参加 怪我
04年 開幕戦 ●フランソワ・ボタ
05年 ベスト8 ●ピーター・アーツ
06年 ベスト8 ●セーム・シュルト
07年 ベスト4 ●セーム・シュルト
一つのデータとして、ジェロムの出場した10回のK-1のうち、ジェロムに勝った選手は7度王者になっているのです。
決して、ジェロムは弱い相手に負けたわけではなく、王者と堂々と渡り合っている。2001年に敗れたハントには二度もリベンジを果たしています。
ワンマッチなら勝てる、もしくは勝っている相手に対して、どうしてもグランプリでは勝てない。不思議なことです。本人が一番納得いかないでしょう。
彼の言葉でその無念を伝えましょう。
「GPが不運? それは事実だ。俺はK-1GPではいつも不運だった。だが、運というものは変わるものだ。もちろん、負ければ腹立たしい。腸の煮えくり返る思いだ!
娘のことを考えると泣きたくなる。救急車で運ばれながら、俺は娘のことを思うんだ。巨大なスクリーンに映し出されたヴィクトリアは、俺にキスを送っていた。そして、俺はノックアウトされたんだ。ちくしょう!」
バトル・サイボーグ語録その3
「だから死ぬ前に最後に思い出すのがヴィクトリアでありたい」
グランプリでは不運続きでしたが、
ボブ・サップが登場するまで、K-1のパワーの象徴はジェロム・レ・バンナでした。
しかし、サップの登場と入れ替わるようにして、ジェロムは怪我を負い、戦線から離脱します。
まるでジェロムのキャラクターを吸収するかのようにスターダムに上り詰めたサップ。
しかし、その間ジェロムは地道なリハビリを続け、腕に「ヴィクトリア」と書かれたプレートを入れたまま戦い続けました。
いつしか、ジェロムは無法なパワーの象徴ではなく、娘のために、傷だらけになりながらも幾度も立ち上がる英雄としての側面を持ち始めました。
……本人はそんなつもりはないでしょうけど。
これまで演じてきたパワーの象徴としての選手ではなく、試合の中で生き様を見せる生身のアクターとなりつつあるのでは?
2007年の準々決勝でホンマンと死闘を繰り広げた戦いを見て、そんなことを思いました。
最愛の娘、ヴィクトリアを思う彼の気持ちを述べたコメントを上げてみましょう。
「試合前、トランクスにある娘のヴィクトリアの文字を触る。いつリングで死ぬか分からない。だから死ぬ前に最後に思い出すのがヴィクトリアでありたい」
「(ヴィクトリアに日本で見せたいものを聞かれ)いろんな人がいるということ。日本人は見た目も違うし、違う文化があるということ、日本人の優しい面、人は優しくなれるんだということ、日本人がお互い尊敬の念を持って暮らしていること、違う文明同士が調和を持って暮らしていけるということを分かってほしいと思っている」
……6歳の子には無理だよ、お父さん……。
すでにあの破壊神のようなパワーを失ってからすでに6年。
それでも、日本の観衆がジェロムに最大級の歓声を送るのは何故か。
ファンが一番見たいKOのために、自分がリスクを犯して勝負に出る姿勢?
負けるときも勝つときも豪快だから?
いや、それだけではないでしょう。
彼が見た目のような荒くれ者ではないこと。フランスに最愛の娘を残していること。妻とは離婚したこと。
ドン・キングと組んでアメリカにボクシングの夢を追いかけながら、一匹狼な性格からうまくいかなかったこと。
その後行く当てもなかったところに再びK-1が手を差し伸べたこと。
有名になってなお、気に食わない相手とストリートファイトをしてしまう短気な性格。
試合前にホテルに押しかけてきたファンと食事を取ったこと。
数々の映画出演のオファーがありながらも、毎年律儀に日本に戦いに来てくれていること。
怪我をさせた本人であるホーストとも笑顔で握手する姿。
そして、日本を尊敬し、ファンを何よりも大事にしていること。
人間くさいそのすべてが、ジェロム・レ・バンナという愛すべきファイターへの声援に繋がっているのです。
「今年もバンナは優勝できないだろう」
「20代の若手が勝たないとK-1は駄目だ」
と、ファンは毎年12月が来ると口にします。
それでも、どこか心の片隅でジェロムの優勝を期待している。
そして、ジェロムが優勝したとき一緒に泣きたいと思っている。
あの人一倍自尊心が強く、そして人一倍シャイな、そんなアンバランスな男の晴れ姿を見たい。
たとえ、それが夢想であろうとも……です。
バトル・サイボーグ語録その4
「彼らはファイティングスピリットを重んじてくれる」
最初の話にもどります。
ジェロムが日本のファンのためにという言葉は、日本のテレビ向けのリップサービスなんでしょうか?
という疑問。
しかし、ご心配なく。
2008年1月ですから、本当に新しいインタビューになります。
MMAへの挑戦心を見せているジェロムに対して、アメリカ人のインタビュアーが「ファンにメッセージはありますか?」とたずねました。それに対するジェロムの言葉を最後に記すことにしましょう。
「すべてのファンにお礼を言いたい。多くのファイターは理解していないかもしれないが、ファンは戦う源だ。俺はそれをわかっている。だから、俺は日本のファンたちのために命を捧げるつもりだ。日本のファンにはとても敬意を払っている。彼らは俺が負けたときも、ゴミクズのように捨てたりしないんだ。他のなによりも……ファイティングスピリットを重んじてくれるから」(2008年1月 FIGTHLINE.COMより)
やっぱり思い入れが強すぎてまとまってないなぁ。。。→人気ブログランキングで、1票