・・・さて。
K-1 MAX Final16を観戦し、
格闘技ファンのみなさんは素直にこう思ったのではないでしょうか。
「魔裟斗の後継者」と言われるHIROYAは本当に強いのだろうか?
彼はまだインターナショナルスクールに通う高校2年生。
本気で大人と戦う年齢ではないかもしれない。
でも思い出してください。例えば、2タイムス王者アンディ・サワーなどは15歳のときからプロとして試合をしていたんです。バダ・ハリだって、18,9のときにはイグナショフと戦っているし、オランダやタイの強豪はみんな信じられないくらいの試合数を十代のうちからこなしているのです。
HIROYAはどうか?
タイに武者修行に行きながらも、かの国では2試合しかしておらず、それも1勝1敗です。
それ以外ではほとんどK-1甲子園やユースの舞台でしかプロとしての試合はしておらず、数は年間4~5試合でしょう。魔裟斗選手がいかに「こいつは天才」とプッシュしながらも、「本当にそうなのか?」というモヤモヤした気持ちは晴れることがありません。昨年のダイナマイトでついに果たした、K-1甲子園優勝も、卜部君や日下部君とはほぼ「どっこいどっこい」の試合内容でしたし、「圧倒的」とはとてもじゃないけど言えないですよね。
なんだかんだといわれても、リングに上がれば凄い試合を連発する「名勝負製造機」魔裟斗を継ぐ者としては、どうしても物足りなさを感じてしまう。HIROYAの一途な気持ちは試合で伝わるだけに、余計にそう思う。
強さの比較というものは一定ではないし、そのときの選手の調子や判定など様々な要因で結果は変化するので、「誰々に勝ったから誰々より強い」という数学的な計算式に意味はありません。
それでも、これまでのレコードを通じて、HIROYAの現在の位置というものを計ってみたいと思います。そこからちょっとでも見えてくるものがあればよいのですが。
実はものさし選手がいるのです。それは、韓国の「クォン・ミンソク」選手。
彼とHIROYAは2007年に一度K-1で戦っています。そのときは60キロ契約でした。
この試合では、派手な打ち合いになりまして、HIROYAが判定で勝利していますが、ミンソクも特にダメージを受けすぎたわけでもなく、それほどの差はないように思われました。
次の年2008年。山本優弥選手が70キロ契約でミンソク選手を判定で下しています。
そして2009年。
2月に韓国で行われたMAXASIA予選の予備予選で一日3試合を行い優勝。
ASIA予選では韓国最強のイム・チビン相手に3ラウンドフルで戦い抜きました。結果は判定で敗れましたが、肉薄しました。
試合を見る限りでは、イム・チビンと試合をしたときも、HIROYAと試合をしたときも、ミンソクはダウンも取られず、「苦戦度」はさして変わらないように思えました。
体重の問題を度外視すると、HIROYAは山本優弥、もしくはイム・チビンレベルの実力をすでに持っているのではないかなぁ、と予想しています。つまり、70キロまで上げることができれば、毎年2月の日本代表決定T
でいい勝負をできるくらいの選手だと思うのです。ただし、それ以上のチカラが現時点であるかと言われると、うーんって言う感じかな。
それと、気になるのは彼の成長度です。といっても、テクニックではありません。フィジカルのことです。
魔裟斗戦では並んで写真に納まっていましたが、やっぱり背が低い。
中学時代から身長はさほど伸びていない(?)ように見えました。
仮に70キロに上げれば、この身長の低さは致命的でしょう。佐藤嘉洋やホルツケンなど180センチ台の対戦相手を前にすれば、シュルトと相対するマヌーフのようなものになってしまうに違いないです。
高校2年生ともなれば、身長はだいたいストップします。となれば、彼の生きる道はおのずと60キロ級。そういうことになりますね。
いずれHIROYAvsキシェンコ、HIROYAvs自演乙が見られるということは、「ない」と言うわけです。残念ですが。。。。
HIROYAが高校を卒業し、本格的にプロとして試合に取り組むのは2011年になります。
そのときこそ、おそらく60キロ級は新「HIROYA」級世界グランプリが開催されると思います。
HIROYA級GPがHIROYAのものになるのか、それとも他の60キロの選手がHIROYAを差し置いて覇権を唱えるのかは、HIROYA自身が試合結果で決していくことになるのでしょう。
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