最高のMAXだった!
そう言える興行はいくつもあったけど、今回はそうではなかったです。
正直、7/13MAXは悔しいなぁという思いが残ってしまいました。
それは、まず一にも二にもトーナメントがスーパーファイトに比べて低調だったことが挙げられます。
例えばペトロシアンvsクラウスがダイジェストで、ブアカーオが完全カットだったことを、TBSの制作会社にぶつけてもいいんですが、彼らに「これを放送しないと」という気にさせなかった試合だったということも認めるべきでしょう。
キシェンコvsサワーは非常にテクニカルで、かつ気合が入ったいい試合でしたが、二人にとっての過去最高のベストバウトであるとは言い切れないでしょう。クラウスvsペトロシアンも同じことが言えるかもしれません。
逆に、魔裟斗vs川尻やKIDvsジェヒが輝いた。
この理由は別にあの下品な舌戦がウケたからでも、ジェヒのKOが美しかったからでもなく、いわゆる日本人の特性に響いたということが挙げられると思います。
それは「限定」です。
なんでもかんでも、本日限定、産地限定、ここだけ! いまだけ! と宣伝すれば、日本人は「じゃあちょっと・・・」と触手を伸ばす。MAXを引っ張り、キックボクシングの世界のみならず、日本のスポーツ界に一代金字塔を積み上げた魔裟斗という偉大なファイターが最後のMAX出場。そして、対戦相手は今回がおそらく立ち技挑戦最後の試合になるであろう川尻です。
この産地限定、いまだけ感が満載のカードに人々はわれ先にチケットを買い求め、立ち見席まで出た始末。実際、彼らが拳を交えるのは今回だけですからね。
川尻はK-1戦跡1戦1勝で、「無敗」に必要以上の幻想を持つ格闘技ファンのツボを突いたこともあったでしょう。
まぁそういう盛り上がりで。魔裟斗もローキックで殺さずに、パンチでダウンを奪い、仕留めちゃいました。DREAMファンの願いどおりにね。倒れるほうは逆でしたが。
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KIDについても、同じで。
KIDは4年ぶりにK-1ルールで戦い、そのことが一般の人にまで響いたことは予想外でした。負け方も見事。これぞKIDという負け方でした。DREAMのウォーレン戦よりもはるかにKIDらしい試合だったと思います。ただ、KIDだったのは負け方だけで、身体のキレはなく、闘争心も薄れ、衰えた姿をさらす前にKOで「らしく」敗れたという意味で、彼は「さすがに持ってる」という印象です。
今日だけのMAX。今日を見逃したら同じものは見れない。
そういう期待感というのが、予想以上に格闘技界を支配していたと言えるでしょう。
じゃあそれに対してK-1本流のトーナメントはどうだったのか。
と、問われると魔裟斗が持つ「最後」もなければ、川尻の持つ「今日だけ」もない。限定的なお得感、スペシャル感が乏しかった。いや、実はクラウスvsペトロシアンなんて、欧州では爆発するであろう超好カードなんですよ。それでも、クラウスはまだ28歳。ペトロシアンは23歳。それから、サワーもキシェンコもホルツケンもドラゴもブアカーオもまだ若く5年10年戦える選手なわけです。今後MAXの70キロトーナメントが続く限り、いや、仮にMAXがなくなったとしても、欧州には彼らをメインイベントとして起用したいプロモーターはゴマンといる。今後、彼らは数限りなく戦っていくのです。
だから、どれだけ圧倒的な試合であろうとも、「限定感」がないから価値としては相対的に下がってしまう。
それを覆すには、内容で「俺たちは魔裟斗や川尻とはレベルが違う」という「格の違い」を見せて欲しかったところなんですが、結果的に試合内容はそこまでに至らなかった。相手を研究しつくし、攻撃を見切り、リスクを犯さず、勝利に徹してポイントを狙う戦い方に終始した。
スーパーファイトの選手がKOに徹した試合をしたのに対し、FEGが育ててきた残酷なまでに「KO」を待ち望む日本人客の眼には消極的に映っても仕方なかったことでしょう。
悪いことではないです。やはり「KO」こそ格闘技の華。カタルシスが開放される瞬間なのだから。
トーナメントに出場した選手の中で、「今日だけ」感を一番かもし出していたのは、山本優弥でしょう。彼はここで負ければ、結局総てを失う。城戸や日菜太のほうがはるかに評価されているのですから。
キシェンコvsサワーは互いのパワーと技術の粋を競う名勝負でしたが、最後の最後にもう一歩踏み込むことがなかったのが惜しかった。キシェンコはワンツースリーの後に、もう少しラッシュできれば、客のハートをさらに掴めたのではないかと思ってしまいます。サワーはもはや名人の域に達しており、キシェンコが減量苦でスタミナを落としていることに着目し、ハナから延長戦を想定しているかに見えました。このあたりが谷川EPをして苦し紛れに苦言させる「わかりにくい強さ」だと思います。
YOUTUBEでペトロシアンvsクラウスも全部見ましたが、ペトロシアンの完璧な守備とソツのない手数はパっと見ではわかりません。しかし、魔裟斗クラスの攻撃でも全く当たらないような気がします。でも、わかりにくい。何故、自演乙をフルボッコにしたクラウスの攻撃が当たらないのか。私もどうやっているのかわかりませんでした。ただ、飄々と王者クラウスを一方的に痛めつけていく「ザ・ドクター」に背筋が凍るだけでした。
もちろん、私はこの試合でさらにペトロシアンのファンになりました。ですがこれは、K-1ファンとして「こういうタイプは今までいなかった!」とニヤニヤしてしまう選手であるということであって、世間的にウケるかどうかとは別問題です。
そして、もうひとつ、付け足したいことがあります。
かつてヘビー級を賑わせたホーストやバンナらと、ペトロシアンやサワーが決定的に違うのは、彼らには帰れる場所があるってことです。ペトロシアンは地元イタリアに戻れば数千人の体育館を一杯にすることができます。サワーも欧州での中量級ブームの中で、いろんなイベントに引っ張りだこです。ドラゴはIt’s Showtime.の重要な人気選手で、ブアカーオは欧州を中心にカリスマ的存在になっています。
しかし、16年前、K-1が産声を上げたばかりの時代は、小さな薄暗い会場での数百人規模の興行がせいぜいでした。欧州キックボクシングはK-1が登場するまで、激しくアングラだったのです。警察官、バーテンダー、用心棒、軍人、警備員。そんな職業につきながら、ジムに通い、休日に激安のファイトマネーで小さな会場で戦っていたところ、異国に呼ばれ、そして突然それまで経験のないような観衆の前で戦うことになりました。それはもう、1試合に賭ける想いというのは違うでしょう。帰れる場所は、薄暗いアンダーグラウンドしかなかった時代とはやはり違う。華やかなる異国での成功か、自国での貧しい生活か。オールオアナッシング。K-1の原点です。今は負けても、「K-1に出た」というだけである程度のオファーが望める欧州の現状があることでしょう。
もちろん、みんな必死なんですけど、空気というか、ハングリーな殺気がやはりかつてに比べると、欠けている印象はあります。まぁ、総論であって、各選手それぞれ状況は違いますけど。
ただ、それを言うと魔裟斗vs川尻は「限定感・期待感」で盛り上がったけど、殺気は全然なかった。
なぜなら、川尻には帰れる場所があり、魔裟斗には引退後も忙しい生活が待っているわけですから。
そんなわけで。
まぁいろいろ言いたいことはあるわけですが、魔裟斗vs川尻というレベル的には高くない試合を限定感だけでここまで盛り上げてしまった空気と、もうひとつ限定感が乏しかったK-1本流のトーナメント。
魔裟斗引退としては最高の締めくくりでしたが、MAXとしてはもう一つ突き抜けるものがなかった。
ブアカーオが魔裟斗を蹴り倒した2004年のトーナメントのような突き抜ける衝動・感覚の半分でも欲しかった。それがちょっと悔しいなぁ、と。
メインイベンターの魔裟斗は去り、盛り上げに一役買った川尻は巣に帰り、復活を演出したかった神の子はただの人になった。
「限定」は所詮限定。
恒久的なイベントの定着には役に立たないのです。
もう一度、MAXは足元を見つめなおして欲しい。嫌でもMAXは変わらざるを得ない。
10月の横浜アリーナ。
魔裟斗も川尻もKIDもいない横浜アリーナ。
限定お祭り騒ぎはもう終わり。
さあ、MAXは堂々と復活だ!
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